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憲法九条について2008年01月28日 07時29分08秒

こどものころ
父がこんな話をした。
父が陸軍少尉として中国大陸で戦争をしていたときだ。
ある行軍で
5人ばかり前を歩いていた兵士が
地雷を踏んだ。
その爆発で兵士の体は数メートル垂直に舞い上がった。
舞い上がった、その頂上で、腰にあった手りゅう弾が爆発した。
そして、その兵士はバラバラになり、周囲に「落下」した。
肉片と血の雨が周囲の兵士にばら撒かれた。
当然、父にも降り注いだ。
父は、生まれて初めて「腰が抜けた」
もうそれ以上、一歩も動けなくなった。
「血の気が引く」
「恐怖におののく」
そういった表現はそれなりに残酷さが伝わる。
でも
「腰が抜けた」
つまり
何もできなかった。その場ですべてが止まった。
父は
「天皇陛下のために死ね、と言われたけど、頭の中はその瞬間から、とうやって生き延びるか?そのことだけになった。」
そして父は日本に帰国し、ボクが生まれた。
あのとき父が数メートル前を行軍していたら
ボクは「存在していなかった。」
生き延びて、生き延びて、ボクが世の中に存在できた。本当にありがとう。

戦争がどんなことか
鉄砲弾が飛んでくる、それがどんなことか。
「腰が抜けた」
この一言がすべてを物語る。
ボクは戦争を知らない。
映画の中でしか知らない。
映画の中では
弾にあたっても、兵士はすぐ起き上がる。
でも
本当の戦争では
肉片、血しぶきとなって、ヒトが空から落ちてくる。
「腰が抜けた」
その一言で、父の恐怖が伝わってきた。
「テロリストに対するたたかいは必要だ。」
「9.11の報復だ、仕返しをしてやる。」
「ミサイルが打ち込まれないようにこちらも戦争できる国家にする。」
「攻め込まれたらどうする?戦争できない国家で国の安全が守れるか!」
このような意見はずっと以前からあり、一見正しいように聞こえる。
だけど、今までの歴史はどうだい?ずっと戦争だよ。
攻め込まれたら攻め返す。
やられたらやりかえす。
人類はサンザン殺し合いを繰り返してきた。
そりゃあ、ビジネスやスポーツの世界なら「仕返し」はいいかも知れない。
でも戦争は「殺し合い」だ。
空から血しぶきと肉片が降ってこないようにするには
どう考えても武力をもってしてはできない。
武力による威嚇は武力による報復を呼び、その連鎖はいつまでも続く、、、それは歴史が証明している。
重要なことは
「いかに戦争をさせないか」  だ。
戦争は考えられうる最悪の悲劇
戦争の準備も最悪の悲劇の予兆
現代はジャングルの掟が支配する世界ではない。
道理をもって説得すれば
戦争をしかけたい国家といえども、国際社会がそれを防げる時代にきている。
だから
憲法九条は説得力を持つ。
何回も言うが
戦争そのものをやめさせることが最も有効な安全保障だ。
武力をちらつかせて「お互い平和にやりましょう」では
いつか肉片が空から降ってくる。
憲法九条があるから
「こちらは武力を持たない、戦争はしないと憲法に書いてある国です。だからそちらさまも戦争やめてください。」
と周囲の国に説得できるし、納得させることができる。
国際社会は野獣により支配されているのではない。
人間の知恵で、戦争をしない、という国際ルールをつくることが大事だ。
http://hihu.net